6 エリーザベト生誕の地
一般的に「ミュンヘン大学」と言われているが、正式な名称は「ルートヴィヒ・マクシミリアン大学ミュンヘン(Ludwig-Maximilians-Universität München)」である。
大学の外壁には、第二次世界大戦当時の銃弾跡が残されている。
大学から南方向に向かって歩いていくと、右側にルートヴィヒ通り13番地のブロックがある。
この建物に、プレートがはめられている。
大きくしてみると、シシィだ。
プレートには、
HIER WURDE
"SISSY"
ELISABETH
KAISERIN VON ÖSTERREICH
UND KÖNIGIN VON UNGARN
IM JAHRE 1837 GEBOREN
と刻まれている。
「1837年にオーストリア后妃・ハンガリー王妃になった"シシィ”がここで生まれた「ということだ。
ここが、シシィ、1854年4月にオーストリア帝国、後のオーストリア=ハンガリー帝国のオーストリア皇帝及びハンガリー国王フランツ・ヨーゼフ1世(Franz Joseph I.)の許に嫁いだ、エリーザベト・アマーリエ・オイゲーニエ・フォン・ヴィッテルスバッハ(Elisabeth Amalie Eugenie von Wittelsbach)が生まれた、バイエルン公爵家のマックスの館である。
1828年~1830年にレオ・フォン・クレンツェによって建てられ、1938年~1941年に改築されたが中断し1949年~1950年にカール・ザットラーの手により完成した。
現在は、Deutsche Bundesbankの建物である。
オデオンスプラッツから地下鉄を使って、いったんホテルに戻る。
願わくば、ウィーンの地下鉄のように、路線によって色分けするなどしてもらいたいものだ。
<続く>
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