6 ハイド広場
ビスマルク広場からハイド広場まで歩いていってみると、ハイド広場はお祭りモード。
今日メーデーだからなのかもしれない。
ハイド広場(Haidplatz)は、カストラ・レギナ時代、城塞の外のただの荒れた野原だった。
930年、レーゲンスブルクの騎士ハンス・ドリリンガーのクラコが馬上槍試合を行った。
1659年の碑があるバロック式のJustitiaの泉を中心に、13-19世紀の建物が立ち並んでいる。
http://de.wikipedia.org/wiki/Haidplatz
カフェ「ゴールデネス・クロイツ」は、元は黄金十字の宿屋(Gasthof zum Goldenen Kreuz)という16-19世紀の上流階級のホテルらしい。
ここで、神聖ローマ皇帝カール5世がドン・フアン・デ・アウストリアの母にあたるバルバラ・ブロムベルクと知り合った。
13世紀に建てられ、町のはかり(Wagg)が置かれ、1541年にカール皇帝の前で宗教論争が行われたノイエ・ヴァーグ(neueWaag)。
13世紀に都市貴族が建立、ノアの箱舟に似ていることからアルヒ(Arc)と呼ばれているパトリッツィアブルク(Patrizierburg)と呼ばれる建物も、この広場にある。
<続く>
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