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2011年5月 5日 (木)

4 二度と繰り返すな

ダッハウ収容所(Konzentrationslager Dachau)は、1933年3月22日、軍需工場跡地にSS(NSDAP親衛隊)のハインリヒ・ヒムラーの命令で、政治犯収容所として開設された。
後に、ユダヤ人を収容するようになる。
1945年4月29日解放、そのとき収容されていた「囚人」は32000人。
その際、収容所守備隊の何人かは米兵による即決裁判で銃殺されているほか、後に米軍による報復的な「裁判」が行われた。
ヴィクトール・エミール・フランクル(Viktor Emil Frankl)の「夜と霧」は、ダッハウ収容所に収容された著者の体験によるもの。
http://www.kz-gedenkstaette-dachau.de/
1997年につくられた「1945.4.29 ダッハウ収容所解放の日」と読める警告の碑には、花束が絶えない。
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さまざまな言葉で「二度と繰り返すな」の訴え。
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かつて、この門から出ることはできなかった。
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ミュンヘンに戻る。
収容所前の停留所からバスに乗ると、二つ目か三つ目の停留所に、J.F.Kennedy Platzというところがあった。
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ダッハウの街からミュンヘンまでは、わずか20キロである。
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S2を中央駅で降りず、イザール川向こうのローゼンハイマーシュトラッセまで行ってみる。
ここにはガスタイク文化センターがあるが、この建物はビアホールのビュルガーブロイケラー跡にある。
http://www.gasteig.de/
1939年11月9日、ゲオルク・エルザー(1945年4月9日、ダッハウ収容所で処刑)は、1923年11月9日のミュンヘン一揆の記念演説をするヒトラーを暗殺しようとビュルガーブロイケラーに爆弾を仕掛けた。
爆弾は爆発したが、悪運強いヒトラーは死ぬことはなかった。
エルザーはスイスに逃れようとしたが、国境で逮捕された。
ガスタイク文化センターに、エルザーを記念するプレートがある。
http://www.georg-elser-arbeitskreis.de/texts/muenchen-gasteig.htm

<続く>

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コメント

「ヴィクトール・エミール・フランクル(Viktor Emil Frankl)の「夜と霧」は、ダッハウ収容所に収容された著者の体験によるもの。」は、「ヴィクトール・エミール・フランクル(Viktor Emil Frankl)の「夜と霧」は、ダッハウ収容所の支所「カウフェリング」(Kaufering、ミュンンヘンの西、レヒ川沿い)と「トゥルクハイム」(Türkheim、カウフェリングのさらに西、ミュンヘンから80km強)に収容された著者の体験によるもの。」とします。

投稿: 楠の末裔 | 2019年8月15日 (木) 14時38分

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