4 ケプラー通り
路地を抜けると、ケプラー通り(Keplerstrasse)にぶつかる。
中世時代、神聖ローマ帝国自由都市の港通りとして、商家や宿屋が建ち並んだところである。
この通りにはカタリーナが住んでいて、フリデリーケが道端で吐血してしまったところに通りかかったカタリーナが、何かあったときには自分達のことを思い出すよう声を掛けた(オル窓ネタ)。
ケプラー通り2番地には、ヨハネス・ケプラー(Johannes Kepler)と家族が1626-1628年の間住んでいた。
また、ケプラー通り5番地はケプラーの友人の家で、1630年にケプラーが亡くなった。
現在は「ケプラー記念館(Kepler-Gedächtnishaus)」である。
http://www.regensburg.de/kultur/museen-in-regensburg/staedtische-museen/kepler-gedaechtnishaus/39083
見学はガイド・ツァーのみらしいが、ドアノブをまわしたけれども扉は閉まっていた。
狭い路地を歩くと、花壇があったりする。
ふたたび、旧市庁舎の前に出た。
旧市庁舎1階はインフォになっていて、その横に入り口がある。
覗いてみると、壁に双頭の鷲。
階段をあがると何人かの観光客然とした人がいて、案内の人に連れられてドアの向こうに入っていくところだった。
案内の人に聞いたら、インフォでガイド・ツアーの申し込みをしてくれということだった。
下のインフォで聞いてみると、3時に英語バージョンのツアーがあると教えてくれた。
ビショーフスホーフから大聖堂の前を歩いてマクシミリアン通りに出る。
日曜日とあって、レーゲンスブルク銀座とも言うべきマクシミリアン通りではあるが、人通りもなく閑散としている。
<続く>
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