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2011年5月 2日 (月)

レーゲンスブルクの歴史(5)

1919/イザーク、息子のユーベル・ヴァイスハイトをつれてレーゲンスブルグへ帰る。ユリウスとイザーク、オルフェウスの窓の下で再会(オル窓ネタ)。
1923/イザーク、ヴィルヘルム・バックハウスとレーゲンスブルグを離れる(オル窓ネタ)。
1924/シュタットアムホーフがレーゲンスブルクに編入。
1942/7月23日、ハンス・ショル、アレクサンダー・シュモレル、ヴィリー・グラーフ、フーベルト・フルトヴェンクラーらのミュンヘン学生中隊、東部前線での医療実習のためロシアへ向かう途中、正午過ぎから午後にかけてレーゲンスブルクを通過。
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(この画像の中央に、ミュンヘン・オスト駅を出発するハンス・ショル(左)、見送るゾフィー・ショル(中)とクリストフ・プロープスト(右)の写真が見える。)
1945/4月24日、市民にドナウ川にせまっていた米軍とは戦わずに降伏するよう訴えたヨハン・マイヤー司祭は、逮捕され、他の市民とともに絞首刑に処せられた。
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オスカー・シンドラー(Oskar Schindler)が11月からWatmarkt(ヴァットマルクト)通りに住み、後にドナウ北岸のAlte Nürnberger Straße 25に移転。Oskar Schindler Hausがある。
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1946/人口が10万人を超える。
1950/5月まで、オスカー・シンドラーが居住。
1967/バイエルン州立大学の4番目レーゲンスブルク大学ができる。バイエルン州第4の都市として、東バイエルン地方の経済・文化の中枢都市となる。
1969/ヨーゼフ・ラッツィンガー(第265代ローマ教皇ベネディクト16世)、レーゲンスブルク大学教義神学と教義史の教授(1977まで)。
1971/アウトバーンに接続。
1973/10月、ウィーンから列車でドイツに向かう池田理代子が、国境を越えて夕方になったので列車を降り、Hotel Karmelitenに宿泊した。このときの滞在が「オルフェウスの窓」を生んだ。
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1975/週刊マーガレットに「オルフェウスの窓」連載開始。
1976/ヨーゼフ・ラッツィンガーがレーゲンスブルク大学副学長に(1977まで)。月刊セブンティーンに「オルフェウスの窓」移動。
1979/レーゲンスブルク市創設1800年祭開催。
1981/「オルフェウスの窓」終了。
1982/「ドナウの旅人」取材で訪れた宮本輝がHotel Karmelitenに宿泊した。
1983/朝日新聞に「ドナウの旅人」連載開始。
1985/BMWの工が建設。「ドナウの旅人」連載終了。
1986/宮本輝がPark Hotel Maximilianに宿泊した。
1988/宮本輝「異国の窓から」刊。
1992/ドナウ河、マイン河、ライン河を結んだライン・マイン・ドナウ運河開通、ドイツにおける最大の航路。
1995/帝国自由都市750年祭。
2000/旧市街の再開発や大聖堂の改修。
2005/「オルフェウスの窓大事典」刊。
2006/「レーゲンスブルクの旧市街とシュタットアムホーフ(旧聖カタリナ慈善病院)」がユネスコ世界遺産に登録。9月、ベネディクト16世がレーゲンスブルク訪問。

<続く>

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