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2011年5月 3日 (火)

10 卑怯者の小径と裁判所

将軍堂の裏手の路地(Viscardigasse)は、「卑怯者の小径(Drueckebergergasse)」と呼ばれていた。
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ミュンヘン一揆でデモ隊が警官隊と衝突したオデオンプラッツを通る市民は、ナチス式敬礼をすることが義務づけられたが、このViscardigasseを通るとその義務を回避できた。
このため、ここを通る者は責任を回避する者、卑怯者とされ、この路地は卑怯者の小径の名前がついた。

ホテルに戻る途中、カールスプラッツに裁判所がある。
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1891年~1897年に建設され、外観は新バロック様式、内装は後期イタリア・ルネサンスである。
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1934年以後、「裁判することではなく、国家社会主義の敵を抹殺すること」を目的として設置されていた民族法廷あるいは人民法廷(Volksgerichtshof)であったこの裁判所(Justizpalast)で、1943年2月22日に、ハンス、ソフィー、クリストフの裁判が行われて死刑判決、4月19日にアレクサンダー、ヴィリ、フーバー教授の裁判が行われて死刑判決が宣告された。

晩ご飯は、Kさん、Rさん、私たちの4人で、海斗というお店に行った。
シュパルゲルのてんぷらが、何といっても秀逸だった。
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http://www.kaito-restaurant.de/index_jp.html
帰りがけ、Kさんはホテルに寄って、3人でワインを1本空けた。

<続く>

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