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2010年4月30日 (金)

【会津と只見】 鶴ヶ城の歴史

鶴ヶ城と言えば「荒城の月」、本丸の隅に歌碑がある。
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鶴ヶ城をモデルに「荒城の月」を作詞したことを、土井晩翠氏は昭和21年に会津若松市内での講演の席で語ったそうだ。

茶室麟閣で、お茶をいただく。
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千利休が豊臣秀吉から死を命じられたとき、当時の鶴ヶ城主蒲生氏郷は利休の子少庵を会津にかくまいった。
この恩義に報い、少庵が建てたのが麟閣だそうだ。
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枝垂れ桜が、みごとであった。
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鶴ヶ城の歴史
1384 蘆名直盛が館を造営、その後黒川城となる
1589 伊達政宗が蘆名氏を滅ぼすが豊臣秀吉に奪われる
1592 蒲生氏郷が黒川城に入城、城下町を整備
1593 七重の天守閣造営、鶴ヶ城とする
1598 蒲生秀行が宇都宮に移封、上杉景勝が入封
1600 西軍の上杉景勝は関ヶ原で敗れ。徳川家康が米沢に移封
1601 蒲生秀行が再入城
1611 会津地震により天守閣倒壊
1627 秀行の次男忠知が後嗣となって伊予国松山に移封、松山から加藤嘉明が入封
1643 加藤明成は改易され、山形から徳川家光の庶弟保科正之が入封、保科宇治は松平氏に改名、江戸末期まで会津松平氏居城となる
1868 戊辰戦争で籠城するも、開城
1869 兵部省所管となり若松県が管理
1874 天守閣など建造物解体
1890 松平家に払い下げ
1917 若松公園設計方針計画
1927 若松市所有となる
1930 国の史跡に仮指定
1934 国の史跡に本指定
1960 本丸復元
1965 天守閣再建
1990 麟閣移築復元
1993 外郭遺構の一部が国の史跡に指定
1997 史跡若松城跡総合整備計画策定
2001 干飯櫓、南走長屋再建

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