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2008年11月21日 (金)

6回目のウィーン(12) ==ヒーツィング墓地==

21日(金)_その1

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外は、冷たい雨がしょぼしょぼ降っている。
朝ごはんをすませて、傘をさしながらマキシング・シュトラッセのだらだら坂をのぼり、ヒーツィング墓地に向かう。
道の左側はシェーンブルン宮殿の敷地が長々と続き、クーデンホフ・ミツコがかつて暮らしていたマキシング・シュトラッセ12番地の家の向かい側は工事中で、歩道がなくなっている。
15分ほど歩いていくと、左手に門(正門ではないので、何の表示もない)が開いており、その奥は墓地になっていて、ここがヒーツィング墓地だ。

門の中に入って真っ直ぐ進み、階段をあがった正面に、小さなお堂がある。
お堂の手前、向かって左側の角に、十字架のたった黒いお墓があり、これがクーデンホフ・ミツコのお墓である。
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区画は13区の69番。
訪れる人も少ないのか、手向けられる花もなく、台座の石の隙間には雑草が生えている。
墓碑のまんなかに聖母子の白いレリーフがあって、上に「御国の来たらんことを!」、下に「御旨の行われんことを!」と刻まれている。
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台座には、上から、ミツコの夫の母君マリー、義弟フリードリヒ(フランツ・カールの次男)、夫の父君フランツ・カール、フランツ・ゲバルト(続柄不明)、義弟リヒャルト(フランツ・カールの五男)、エリザベト(長女)の墓碑銘が刻まれている。
一番下がミツコの墓碑銘で、「Maria Thekia MItsu Gräfin Coudenhove geb Aoyama」、「マリア・テクラ・ミツ・クーデンホフ・カレルギー伯夫人旧姓アオヤマ」、その下に「geb. in Tokio 7. Juli 1874, gest. in Wien Mödling 27 Aug. 1941」、「1874年7月7日東京に生まれ1941年8月27日ウィーン・メードリンクで没す」と刻まれている。
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ミツコの夫ハインリヒ・クーデンホーフ・カレルギー伯爵はここには葬られておらず、かつて住んでいた、現在はロンスベルグ城のあるチェコのポペチョヴィッツェにお墓がある。

クーデンホフ・ミツコは、1874年7月24日に東京で生まれ、1892年、オーストリア・ハンガリー帝国駐日代理大使であったハインリヒ・クーデンホーフ・カレルギー伯爵と結婚し、1896年にオーストリア・ハンガリー帝国に行く。
1906年にハインリヒは亡くなってしまうが、ミツコは子どもたちを育て、1941年にウィーンで亡くなるまで、日本に帰ることはなかった。
東京で生まれた息子のリヒャルト・ニコラウス・栄次郎・クーデンホーフ・カレルギーは、「汎ヨーロッパ主義」を提唱、後に欧州連合に結実したことで、「EUの父」と呼ばれている。
映画「カサブランカ」に出てくる反ナチス運動家ラズロはリヒャルトであるとする説があるが、確かではない。

また、フランスのゲラン社に「ミツコ」という香水があり、クーデンホフ・ミツコさんに因んだものという話があるが、実際は、違うようだ。
フランス人の作家クロード・ファーレルが書いた「ラ・バタイユ」という小説に出てくる「ミツコ」によるものであるようで、ファーレルとゲラン社のジャック・ゲランとは親交を結んでおり、「ミツコ」が発売された1919年当時ベストセラーになっていたこのファーレルの小説を読んだゲランが、新たに発売する香水に「ミツコ」と命名したといわれている。
ただ、ファーレルが「ラ・バタイユ」のヒロインを「ミツコ」とした経緯はわからないが、当時ウィーンの社交界にいたクーデンホフ・ミツコのことを聞いたのだとしたら、全く無関係と言うわけでもないようだ。
ゲラン自身もパリやウィーンの社交界には出入りしていたとのことなので、クーデンホフ・ミツコのことを聞いていたこともあり得る。

ミツコの墓の右手を10メートルほど行くと、同じ13区にワーグナー家のお墓があり、墓碑にはユーゲント・シュティールの強い影響を受けたウィーン分離派の建築家オットー・ワーグナーの名が刻まれている。
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また、左手に少し歩くと、5区に、オットー・ワーグナーと同時代のウィーン分離派の画家クリムトの簡素なお墓もあるが、クリムトのお墓は少し見つけにくい。
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