« Elisabethの最終年 Erste "Elisabeth" im Theater an der Wien | トップページ | Elisabethの最終年 Schloß Belvedele »

2005年10月18日 (火)

Elisabethの最終年 Russ. Helden Denkmal

午前中は、Schloß Belvedele(ベルヴェデーレ宮殿)に行くことにした。
ホテルからコンツェルトハウスの前を通って歩いて行くと、Schwarzenbergplatzにソ連軍の英雄記念碑(Russ. Helden Denkmal)がある。
18001_
ちょっと歴史をひもといてみると、1945年3月末にソ連軍はオーストリア(当時はドイツに併合されていた)に進撃を開始し、4月2日にウィーンの東20キロのところにせまり、5日にはウィーンに侵攻開始、13日には占領した。
6月16日、アメリカ軍がウィーンに進駐、7月9日にオーストリア占領地区・ウィーンン市管理協定が調印され、9月1日、米英仏ソの4か国による分割統治が始まった。
この碑は、1945年に建てられたもののようだが、1991年のソ連解体を経た今でもそのままであることが、ある意味では不思議な気もする。

オーストリア、ウィーンの4か国分割統治を調べてみた。
アメリカが青、フランスが黄、イギリスが緑、ソ連が赤。
まず、オーストリア全体。
ブルゲンラント州(Burgenland):ソ
ケルンテン州(Kärnten):英
ニーダーエスターライヒ州(Niederösterreich):ソ
オーバーエスターライヒ州(Oberösterreich):南西部は米/北東部はソ
ザルツブルク州(Salzburg):米
シュタイアーマルク州(Steiermark):英
チロル州(Tirol):仏
フォアアールベルク州(Vorarlberg):仏
ウィーン(Wien):4か国及び共同
18002_2 

ウィーンは、西北部がアメリカ(青)、西部がフランス(黄)、南西部と南東部がイギリス(緑)、南部、東部、北部がソ連(赤:現在の市街区域、桃:当時の市街区域)で、区ごとにすると、次のようになる。
I.Innere Stadt:国際共同管理区域(インターナショナル・ゾーン)
II.Leopldstadt:ソ
III.Landstraße:英
IV.Wieden:ソ
V.Margareten:英
VI.Mariahilf:仏
VII.Neubau:米
VIII.Josefstadt:米
IX.Alsergrund:米
X.Favoriten:ソ
XI.Simmering:英
XII.Meidlig:英
XIII.Hietzing:英
XIV.Penzing:ソ
XV.Fünfhaus:仏
XVI.Ottakring:仏
XVII.Hernals:米
XVIII.Währing:米
XIX.Döbling:米
XX.Brigittenau:ソ
XXI.Floridsdorf:ソ
XXII.Groß-Enzersdorf:ソ
XXIII.Schwechat:ソ
XXIV.Mödling:ソ
XXV.Liesing:ソ
XXVI.Klosterneuburg:ソ
1938年のドイツによるオーストリア併合の後の1938年10月1日、ニーダーエスターライヒ州に属する97の区域がウィーンに編入され、26の区が存在していたので、現在の23区の領域よりも大きく、また、区域についても、現在の区域とはことなっている区もあった。
18003
USFA(United States Forces Austria)退役軍人協会のサイトから「Maps」をたどり、「Maps of the United States Forces in Austria」ページで、「Administrative Map of Austria, 1945(オーストリア分割地図)」や「Map of Vienna Districts(ウィーン分割地図)」を参照できる。

|

« Elisabethの最終年 Erste "Elisabeth" im Theater an der Wien | トップページ | Elisabethの最終年 Schloß Belvedele »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: Elisabethの最終年 Russ. Helden Denkmal:

« Elisabethの最終年 Erste "Elisabeth" im Theater an der Wien | トップページ | Elisabethの最終年 Schloß Belvedele »