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2004年12月23日 (木)

降誕祭は維納で Maxing Str.12

5日目の朝、23日は少し雲が出ている。
午後は森に行くが、午前は再び西に向かうことにする。
Stadpark駅からだと、U4でHietzing駅に直行する。
今日はまず、Sisiyさんが行きたかった、クーデンホーフ光子さんという方が住んでいた家を訪ねることにしていた。

クーデンホーフ光子さんという方については、私はあまり知らないのだが、1874年(明治7年、維納万博の翌年)に生まれ、1892年(明治25年、マイヤリンク事件の3年後)、オーストリア・ハンガリー二重帝国公使のハインリッヒ・クーデンホーフ伯爵と結婚。
4年後の1896年(明治29年、Elisabeth暗殺2年前)には渡欧し、ボヘミアで暮らしていたそうである。
ところが、1906年(明治39年)、夫が急死してしまう。
しかし、第一次大戦を経て、ハプスブルク帝国の解体の時期にも帰国することなく、子どもを育て、その後維納に住み、1941年(昭和16年)に維納で亡くなり、Hietzing墓地(地図を見るとSchloß Schönbrunnの南西、Glorietteからさらに南に行った先にMa.-Theresien Kaserne(マリア・テレジア兵舎)があるが、その西側あたり)に眠っている。

さて、クーデンホーフ光子さんが住んでいた家は、Maxing Str.の12番地であったことが事前に調べてあり、レストランの角を曲がった先の右側にあるということまではわかっていた。
地図でも、Maxing Str.は、Hietzing TorからSchloß Schönbrunnの西側に沿っていることはわかっていた。
Hietzing Torの傍に郵便局もあったが、POLIZEIがあったので、念のため聞いてみることにした。
23001
ドアを開けるとガラス越しのカウンター、奥からおまわりさんが出てきた。
「Maxing Str.12」と書いたメモを見せ、「この場所は何処なりや?」と聞いたら、ただ「あっち」と指を指す。
「あっち」だけじゃ、どのくらいの距離があるのかわからない。
「あっちにまっすぐ行けばいいのであるか?」
「そう、左に曲がってまっすぐ」
ううむ、わからん。

Hietzing Torの前の通りは市電が走り、右にカーブしている。
23002
カーブしおわったところから、左側に道路がある。
角の建物はレストランで、標識を見ると、Maxing Str.13。
ってことは、この近所か。
こっち側が13ならば、偶数は道の反対側だろう。
しかし、反対側はなんとかgasseという名前となっている。
戻って少し歩いて見ると、Maxing Str.13はMaxing Str.13aとなる。
さればと反対側に渡って見ると、おお、目指すMaxing Str.12が、そこにあった。
23003
23004
半地下っぽいフロア、1階、2階、3階、そして屋根裏部屋のような階層になっていて、車が3.5台ほど縦列駐車できそうだから、間口は15メートルぐらいか。
奥行きはわからない。
ドア横に銘板がついていて、今はお医者さんの住まいになっているようだ。

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